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2014年4月17日木曜日

第四章 天皇家が今日まで存続する事に不可欠だった藤原家との500年の“共存体制”の歴史
第2項 飛鳥、奈良時代に女性天皇が多かった背景について


飛鳥、奈良時代までは記述の様に非常に女帝が多かった時代であった。
藤原不比等の娘が嫁いだ第42代文武天皇との間の息子が後に第45代聖武天皇となる訳だがその間の2代の天皇は女性天皇が“中継ぎ“をしている。つまり、文武天皇の崩御後には母親である元明天皇が第43代天皇として繋ぎ平城京遷都を成し遂げた。所詮ピンチヒッター女帝であるから在位期間は8年だけであった。

その後譲位するのだが、生憎即位すべき聖武天皇がまだ年少であった為に更に10年間程は元明天皇の娘で聖武天皇の姉が第44代女帝元正天皇として即位している。漸く本来の聖武天皇に譲位したのが724年という事である。

今日まで日本の天皇は125代の天皇が即位しているがそのうち“女帝”は2例の重祚(ちょうそと言って同一人物が別の天皇名で二度即位する)のケースを含めて10代、8人しか前例が無い。その中8代、6名、つまり日本の歴史における全ての女性天皇の実に8割が飛鳥、奈良時代に固まって即位しているのである。

それら女帝の名前を挙げると、飛鳥時代の項で記述した、推古天皇、皇極天皇、斉明天皇(皇極が重祚)持統天皇、奈良時代に入って元明天皇、元正天皇、孝謙天皇、称徳天皇(孝謙が重祚)の8代(6人)である。

既述して来た様に上記“女性天皇”の即位は先帝が若くして突然崩御したり、病弱、事故等によって譲位を余儀なくされるなどの結果の即位というケースであって、あくまでも“繋ぎ”としての即位であった事が分かる。

歴代女性天皇で、残る二人の“女性天皇”は江戸時代まで下がって、二代将軍秀忠と将軍夫人お江の方との娘が第108代後水尾天皇の中宮となり、その内親王が第109代明正天皇として即位(1629年~1643年)した例、と、1762年、10代将軍徳川家治の時に即位した第117代後桜町天皇だけであり、この後桜町女帝が今日時点では最後の女性天皇である。

マスコミ等で女性宮家問題と絡めて話題となった“女系天皇“つまり、女性天皇が民間の男性と結婚しその子供が将来”天皇”となったという例は125代の天皇家継承の歴史では一切無い。 全ての“女性天皇”が“父親の天皇”の血統を直接に継ぐ天皇であった。

まさに、既述した様に、天武天皇が腐心した“正当な天皇家の血筋を引く者のみが継承する”と言う鉄則を頑なに守って来ているというのが125代に亘る“天皇家”の継承の実態なのである。

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