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2014年4月17日木曜日

第二章 日本の特異性の認識と歴史が必ず持つ因果関係
第1項 総括


アメリカ合衆国には独立宣言書があって建国の趣旨が明確に述べられている。又建国記念日は独立記念日の7月4日で誰でもが知っている。又、中華人民共和国には中国共産党による建国の趣旨が明確に記されている。日本では1872年(明治5年)、明治新政府が古事記、日本書紀の伝承として神武天皇が即位したとされる2月11日を紀元節として国民の祝日として来たが、アジア、太平洋戦争後の昭和23年(1948年)に廃止された。

昭和42年(1967年)に”建国の記念日”として再び同じ日を、国民の祝日として公式には祝っているが、何せ、記紀の記述から採った神話の世界からの祝日であり、国民一人一人に実感が無い。我々が海外の人々から”日本国はどの様に創建され、その趣旨はどのような事だったのか?”と質問されたら、一体どの様に答えるのであろうか?

 ”2000年近くも前からあった国なんだヨ”程度の答えしか出来ないのが実態かも知れない。
 我々が小学校、中学校、そして高等学校で習った日本史のどの教科書にも”日本国設立の趣旨”は書かれていない。太古の昔であるから、近代国家の様に建国の趣旨などは分らないのは仕方が無いにしても、 何時、誰が、如何言う状況と過程を経て、日本と言う国を創建して行ったのかを今日の教科書には明記しているものは無い。

勿論、専門家による、日本国創建に関する書物は数多く出されているが、何しろ日本には、まだ文字文化が普及する以前の時代の話であり、これが定説だ、として教科書に載せられた日本国統一までの過程に関する定説は無い。1300年程前に編纂された”古事記”(712年)や、対外向け公式国史としてほぼ同じ時期に編纂された”日本書紀”(720年)の記述内容をそのまま、日本国建国の歴史とする事には当然の事ながら無理がある。

戦前の教育はそれでも、古事記、日本書紀の記述内容を日本建国の定説として扱って来た。

古事記は上、中、下の3巻から成っている。”上つ巻”は天皇家の祖先にまつわる神代の記述であり、邇邇芸命(ニニギノミコト)の天孫降臨の神話の部分は、朝鮮半島南端にあった、”伽那国”の始祖が天から降りたと言う伝承話に酷似している。

”記紀”編纂の時には非常に多くの中国、朝鮮半島の書物を参考にしたと言われているから、引用した可能性はある。天皇家のルーツが朝鮮半島にあると言う話があるのも、当時圧倒的な先進文化を持っていた中国大陸、朝鮮半島であったから、不思議では無い。私が受けた戦後教育での日本史は連合国軍の占領政策の統制下のものであり、、どの教科書も、縄文時代の日本列島の人々の生活の様子、弥生時代への移行に関わる住居の様子、農耕器具の変化、集落の様子など、考古学的観点からの”日本国のはじまり”の内容であった。

こうした石器、土器、等が、どの様な状態で発達して来たか、武器が石器、から鉄製の武器、その他の金属を使う武器に変化して行った事と、古代日本が国としてどの様に統一されて行ったのかには重要な関係がある 訳だが、教科書的には一切触れていない。

何事も無から有は生じない訳であるから古代日本が小さな集落状態から、規模を拡大し、国と呼ばれる集落規模に発展し、その中から多くの国単位を纏め上げて行く勢力が現れ、当時既に先進的文化、経済力、して武力を有していた中国王朝、朝鮮半島に存在した強国の侵略に備えた、と考えるのが自然であろう。

ただ、充分な資料も無い2000年以上も前の日本列島の状況を詳細に検証する事が、今回の私の著述の主たる目的ではない。それらについては多くの専門家にお任せして、私としては ①天皇家が何時から古代日本列島の統治者として現れたのか、②古代日本列島の歴史として先進国であった中国王朝、朝鮮半島の諸国に武力で征服された事があったのか、 この2点について検証する事から始めたい。

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